· 

何を食べても何かを思い出す わたしのご馳走帖②<牛肉を食べる>

 

わが家の食生活では魚より肉が圧倒的に多く、牛、豚、鶏の比率は同じくらい。いずれも劣らず好きですが、特に和牛が好きなのは、私にとっては火加減でパッパと調理できること。火を通し過ぎず、火と香辛料で肉の味を引き出す・・・。なーんてまるで達人みたいだけど、実は原稿が進まずに頭がゴタゴタになってる時でも、短時間で“天”の味を引き出せる手軽さがいい。もちろんうまくいけばの話ですが。

 

そんな肉好きを知ってか、ン十年にわたって“松坂牛”をお歳暮に送り続けてくれた伯母がいました。サシがほどよく入った、日高昆布くらいの見事な一枚肉が三枚くらいで、おそらく一万円? 送料と消費税は、どうなのかと気になるところ。口にいれると甘くとろけ、その美味しさは溜息ものでした。夫婦だけで食べるのは勿体ないと、いつも元日に姉宅に持参し、おせち料理と並んで豪華なすき焼きに。でも、伯母は特に金満家でも見栄っ張りでもなく、夫と死別してからはお琴を教えつつ、平凡で質素な独り暮らしでした。

 

ところが申し訳ないことに、姉宅には育ち盛りの大食らいの男の子がいたし、「鶏と豚はダメだけど牛は幾らでも」という妹も加わって、アッという間にペロリ。しかも若い人はさして有難がらず、天下の松坂牛も猫に小判。どうもコストパフォーマンスが悪すぎると思った。なにもグラム三千円でなく、グラム二千円の和牛で十分じゃないかしらと。それに、送り始めてから二、三十年も過ぎると、物価上昇を反映し量が少し減っているようで・・・。 

そんなこんなで三十年目ぐらいに、セコいと思いつつ伯母に訴えたのです。「松坂牛は堪能させて頂いたから、今後は普通の黒毛和牛にしてください」と。するといつもは取り合わなかったのに、この時ばかりは伯母はフフフと笑って、きっぱり断った。「せっかく贈るんだから、私は最高級のものを贈りたいの」

 それからしばらく経って、松坂牛は来なくなった。伯母が亡くなったのです。以来、松坂牛を食べたことないです。ただ先日、たまたま安く買った高級肉を焼いた時、ふと思ったことがある。あの松坂牛に勝てる味はないと。伯母に、こう言われたような気がしたのです。「ああいうものは食べておくもんですよ」。

 

それにしても。特に意図したわけでないのに、思えば伊賀牛、米沢牛、常陸牛・・・と様々な牛肉を“旅し”てきました。例えば東北大震災の時は、ムダに近場で飲食せず、かの地でお金を落とすことが支援と考え、仙台に行き、地元の店で“仙台牛”を食べました。

 

去年、神戸に行ったついでに、神戸牛の発祥の地三田を訪れ、三田牛を堪能。ただ、これまで神戸には何度も行ってるのに、いつも何か都合が出来て、神戸牛の店に入ったことがない。数年前にも、関西の友人四人と神戸のホテルに集合したが、諸般の事情で、ホテルのフレンチレストランで食事をすることに。私達は七千円前後のステーキコースを注文。丁寧な店で、皿を運んでくるたび、白服のウエイターが、これは明石のタコで、これは神戸**の人参で・・・といちいち地元産であることをアッピールする。じゃお肉はどうなの、と私は少し皮肉に思った。神戸のど真ん中で、七千円のコースでは、神戸牛が出るわけはない。

でも私はいよいよ次はステーキという時に、試しに言ってみた。

「じゃ、ステーキも当然、神戸牛ですね?」

するとウエイターはどう言ったか? ヒッと肩をすくめ、「それは勘弁して下さい」と、ぐしゃぐしゃの顔で逃げて行った。ハッハッハでした。

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    淺野聡 (月曜日, 11 3月 2024 11:35)

    肉をよく食べる人は長生きをすると周囲から言われますが、確かに私の母は92歳まで元気にモリモリ食べていました。
    亡くなる半年前のコロナ禍でのこと。休日に届いた覚えのない宅配便の箱にはサラ川入賞の副賞として400gの米沢牛。自分ですら忘れていたサラ川応募でしたが、一番狂喜したのは母。結局、一晩で半分以上を母が召し上がりました。
    ふと、思い出した次第です。