森真沙子ファン倶楽部設立にあたって

 

森真沙子ファン倶楽部会長 岸田信高(ケニア在住)

 

私が森真沙子さんの函館を舞台とした『箱館奉行所始末』と遭遇したのは2015年、東京の立川病院に入院中のことです。前年のクリスマスイブにケニア・ナイロビのわが家で左足の踵を骨折し、その3か月後、日本で手術を受けるために帰国したのでした。

 その折に、5年前に病死した中学高校時代の友人の妹さんが見舞いに来られて、「11回生の同期の森真沙子さんの作品なので、ぜひ読んでみてください」と、この本を差し入れてくださったのです。

入院中の徒然を慰めるために同書を読み進むうちに、函館奉行所を舞台に実在の人物と虚構の人物が織りなす物語の面白さに引き込まれ、2週間の病院生活を退屈せずに過ごすことができました。

 

そして、函館の歴史の大きなうねりの中で職務を全うした歴史上の人物と架空の主人公が躍動する、この小説をドラマ化できないものかと思い至ったのです。幸いNHKには、今はすでに退職しているもののトップで活躍してきた知り合いがおり、早速、相談に乗ってもらうことにしました。「日曜夜の大河ドラマは、既に4年先まで番組が決まっている」とのことでしたが、NHKには土曜時代劇やBS時代劇などの番組もあり、何らかの形でドラマ化することが可能ではないか…。

そこで、函館西高の同期生、同窓生をはじめ、多くの人たちに応援してもらいたいと、森真沙子ファン倶楽部の結成を思い立った次第です。今年、再び帰国するにあたって、高校の卒業アルバムを開くと、あの頃の大人しく内気な彼女の顔が浮かんできました。内気さの中に秘めていた、黙々と史実を調査する能力、巧みな想像力、面白い物語を組み立てる構成力などが、彼女が長らく執筆生活を続けてこられた理由だと思います。

 

 今後は、私たちが森真沙子さんを「内から外へ」と少しでも引っ張り出したい、後押ししたいと考えています。郷土函館が生んだ歴史作家として、今後も命ある限り、執筆活動を続けて欲しいと望んでいます。

私のアフリカ、ケニアとタンザニアでの生活は47年を過ぎています。これまで生死の危険に遭遇しながらも、“人生の光明を求めて”アフリカの自然を相手に、宝石商として宝石鉱山の採掘や世界各国への宝石の輸出などをしてまいりました。過酷でありながらも時に天地創造のような優しさのあるアフリカの自然に包まれ、朗らかなケニア人との付き合いの中で、多くの友情を得ることができ、また裏切りも経験してきました。 私の帰国は年に1、2度ではありますが、事務局とはメールで連絡を取り合っております。

どうか、森真沙子作品の読者の方々をはじめ、函館出身の皆さま、そして一人でも多くの方々に森真沙子ファン倶楽部へのご入会をお願い申し上げます。

 

 

エッセイや連載小説も掲載予定なので、ぜひご覧ください!

 

作家 森真沙子

 

“ファンサイト”というようなものは、私などにはおよそ無縁と思って生きて参りました。

ところが『箱館奉行所』シリーズを読んでくれた高校時代の友人や後輩によって、いつの間にかそれが誕生したのです。驚くやら戸惑うやらで、長く生きていると何が起こるやら------の感ありですが、まずは有り難いことと感謝しています。

 

ちなみにこのシリーズは、幕末の歴史に沿ったフィクションですが、『箱館奉行所』は蝦夷地・箱館に十年ほど実在した、幕府の出張機関です。中央の幕臣がいきなり未開の地に派遣され、徳川家滅亡まで奮闘し続けた、いわば“落下傘部隊”のようなものでした。

 御一新の時、内地に引き上げたのはごく一部で、多くは北の異郷に骨を埋めました。でも幕府の命運を背負ったかれらの頑張りの上に、その後の北海道の発展があったわけで、函館出身の読者たちが共感を寄せてくれたルーツは、そこにあるように思っています。 

言うまでもなく箱館奉行所の興亡は、函館の地方史のみならず、徳川二百五十年の有終の美(?)を彩る歴史として,位置づけられるべきものでしょう。いま思えば、書き残したことばかり。今後も機会があれば、また発信してみたいお話が山積みです。 今はまたお江戸に戻り、幕末のあれこれを物語に書き綴っています。せっかくのサイトを活用し、こちらでも小説を連載してみたいとも考えているので、どうぞ今後もよろしくお願い申し上げます。