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花盛りの季節、“まつママ”を送る

▲▼函館市の五稜郭公園は桜の名所。ソメイヨシノを中心に1500本の桜の樹がある。開花は例年、4月下旬。今年は4月16日~5月15日迄、桜まつりが開かれている。

「-----咲き出しの時期の五稜郭は、濃いピンク色に染まっています。満開のころには薄ピンクに。花が完全に開くと五稜郭は白くなります」。久しぶりに『箱館奉行所』の館長坂本さんから、こんなメールが。その1週後の今日、五稜郭には白い花吹雪が舞っているでしょう。

 

歌舞伎町のバー『まつ』のママだった金木美枝子さんが病没したのは、そんな4月19日でした。葬儀は昨27日。初夏の陽射しの強い日、ツツジ満開の落合の斎場まで行って来ました。それまでの1週間、“逝きし人”は、人生の全ての行程を終えて冷暗室に横たわり、旅立ちの時を静かに待っていたのです。

 

歌舞伎町の名物ママと言われ、通称“まつママ”。誰もがそうである以上に、煩悩の多い人生だったでしょう。美人で、華やかな噂が多々あり、悪女めいた奔放さを見せていた。でもどこか真っ直ぐなところがあって、下町風の正直な素顔が見え隠れしていたのが、魅力でした。常連客には、半村良、都筑道夫、川又千秋らS F系の作家、常盤新平、志茂田景樹、早川、角川の編集者、まだ駆け出しの頃のタモリも-----。癖のあるそんな客と何げに渡り合うのが面白かったけど、二十代半ばの私は人見知りが強く、いつも大勢で押しかけ、ろくに話もしなかった。だがそのうち、悩むことがあって一人で行く日があり、雨の夜の客のいないカウンターでボソボソこぼす

と、「そんなことでくよくよするんじゃないよ、マサコちゃん」と叱咤され、“まつママ”節で励まされました。


 

「世間は広いんだ、行く所がなくなったら、“まつ”においで」

気がつくと、いつの間にか常連さんになっていたのです。それから茫々ほぼ半世紀。思えば長い付き合いだったけど、別れはアッという間でしたね、美枝子さん。

 

喪主の甥ごさんの話によれば、数年前、食道ガンで入院した時に死を覚悟し、綿密な遺書を残したのだそう。でも手術は成功し生還したから、遺書はそのままになっていたのだと。その文中で、通夜と告別式はやらず、斎場で家族葬をやるよう指示し、経費を前もって払っていたという。また例外として声を掛けてほしい友人の名を3人挙げてあり、そこに不詳私の名もあったそうです。黙って旅立ってしまったら、文句を言われそうだと怯えたのでしょう。始末のいい人とは知ってたけど、遺書のことは知らなかった。もっと長く生きてくれると思っていたから。でも病気は治ったものの食が細くなり、栄養をよく摂れなかったことが、死を早めた原因だと。享年82。本人がそれを知ったら、どんな感想を洩らすことか。「ま、こんなもんじゃない? また生き直しても同じような人生だよ」なんて、サバサバ言いそうな気はするのだけど-----。

 

最後に対面した“まつママ”は、煩悩の抜けた穏やかな顔でした。もしかしてこの1週間、魂はその体を離れ、咲き始めた五稜郭の桜の森を彷徨っていたのかも-----なんて妄想したくなるような。葬儀から一夜明けた今朝、うちのベランダのツツジも満開でした。