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今年亡くなった忘れ得ぬ人を悼む その2細木数子さん         

 

今年も胸に迫った多くの訃報の中で、ダントツはやはり神田沙也加さん。特にファンではないけど、あまりに悼ましくて。TVで報道されるたび、画面で『マイフェアレディ』の沙也加イライザが唄う。そのフレーズが耳にこびりつき、夢にまで見たので、調べてみると“花売り娘”イライザが唄う「素敵じゃない?」。〽︎温かい部屋で、チョコレートを食べる。それって素敵じゃない-----と唄う貧しい花売娘の幸せへの願いは、沙也加自身の夢でもあったかも。

 

11月8日に83歳で逝去した細木数子さんは、それに比べ女傑として生き抜いた感あり。私は僅か1回お会いしただけの人間だけど、その1回ですっかり忘れ得ぬ人になったのです。当時、私は29歳の駆け出しフリーライターで、週刊S誌の趣味欄を担当。毎週4人の知名人に会い、記事を載せていた。その週は島倉千代子に取材を申し込んで、マネージャーが出てすぐにOK。それが細木女史でした。「6星占術」を編み出して人気占い師になる前、女史は4億円の負債を抱えた島倉千代子の後見人としても、マスコミを賑わしていたのです。

 

 

約束の日、私は新宿コマ劇場の2階ロビーで、女史を待っていた。ところが相手は約束を1時間すぎても現れない。行き違いがあったかトラブルが生じたか。案じつつ1時間半たったところで楽屋に向かった。扉を叩きそろそろ覗くと、やれ嬉し、座敷にはただ一人島倉さん本人が化粧をしておられた。私は事情を説明し、「ここで今、取材させて頂いていいですか?」と問うと、「どうぞ----」とたおやかな声が返ってきた。で、私は座敷に上がったのですが。


30分以上は話しこみ、ほぼほぼ取材できた頃合いのこと。

 「あんた、そこで何してんの?!」のハンパない怒声が。見ると上がり框に仁王立ちしているのは、あの細木女史だ。私は驚いて名を告げ、事情を話すと、「でもロビーで待っててくれと言ったでしょ? だれが楽屋に行けと言った」と物凄い剣幕。その背後には怖そうな若い衆が数人ズラリ。

「ですけど、私は1時間半お待ちしたんです」「何分待とうと、ロビーで待てと言ったらそこで待つべきだ!」「お言葉ですけど、仕事で来てるので、あまり時間はないんです。1時間半待って、楽屋に伺って事情を聞くのは、当然じゃないですか?」「なーに言ってんの。楽屋に勝手に入ってもらっちゃァ困るんだ」「でも、島倉さんのお許しを得て、取材させて頂いたんですよ」 「マネージャーは私だ! つべこべ言うなら、表に出ろ!」「はい出ます!」と立ち上がる。この人に私が謝る筋合いはない。ビンタを食らって負けるだろうが、一発は返せると本気で思った。なぜか怖くなかった。でも週刊誌はクビになるだろう、と思った。

「あんた、悪いこと言わんからこのまま帰りなさい、後は私が謝っておくから」番頭さんみたい人が追って来てオロオロ言った。「いえ、構いません」と私。すると別の若い衆が来て、細木女史の伝言を伝えた。「この先のQという喫茶店で待ってて欲しい」と。

 薄暗い店の奥で待っていたら、ドアが開いて細木女史が。殴られるかと思わず立ち上がると、まあまあ、とゆっくりコーヒーを注文し、向き合って言った。「あんたもやるねえ」「-----」「分かってね。若いのがあれだけ後ろにいるんで、ああ言うしかなかったの」

 

それからどんな話をしたんだったか。話の終わり頃に、「あんた、島倉千代子の凄さ、見た? あれだけやり合ってても、一言もなかったでしょ」。そう言えば、実は私もあの最中、島倉さんが何か言ってくれるかとチラと見たが、じっとこちらを見てたきりだったっけ。 女史ほどの女傑でも、島倉千代子に助力を期待したのか、と思うと何がなし気分がほどけ、やっと相手を見つめた。笑っていたようだ。狐に抓まれたような、でも吹き出したくなる気分で、また-----と別れたが、それきりになった。訃報を聞いて、このすべてがありありと甦り、懐かしかったです。お二人のご冥福を祈ります。