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今年亡くなった忘れ得ぬ人を悼む その一人 西脇英夫さん  

 

今年も何人かの知人が物故したけど、コロナ禍だったり、疎遠になっていたりで、多くは心の中で手を合わせて偲びました。

 でも花一つ手向けなくても、心に深く残る人。その一人が、6月に亡くなった映画評論家の西脇英夫さん(77)。会った時はお互い20代半ばで、タウン誌『東京25時』の同僚でした。同誌が潰れてからは、その編集仲間3人で“ツーホットワンアイス”なる仕事集団を作って、週刊誌や雑誌の仕事を請けていたのです。

 

ツーホットの二人は有能だったけど、ワンアイスの私は煽られっ放し。この三人の共通項は“サブカルチャー愛好”で、特に西脇さんは、1970年代半ばに生じた「オタク」のはしりでした。日活アクション映画、劇画、落語に通じ、その知識は余人の追随を許さないほど。ジャズ派の私は日活映画には疎かったけど、落語、映画、アングラ芝居などに目が開かれ、ずい分と勉強させて貰ったと思う。

 

西脇さんはやがて映画評論家として『キネマ旬報』などで活躍し、また東史郎の名で漫画の原作者にもなった。ともかく剽軽な変人で、彼の行く所、駄洒落が絶えない。ある初夏、編集部とヤングコミック編集長との呑み会で、「このカウンターのものを材料に、駄洒落を言い合おう」と誰かがバカなことを言い出した。とたんに西脇さんがメニューを手に取り、「メニュ青葉、山ほととぎす夏ガツオ」。するとヤンコミ編集長が、ジョニーウオーカーの洋酒の並ぶ棚を睨んで「ジョニウォカるり子って女優さん、いなかった?」。それからは駄洒落の応酬で、お腹の皮がよじれるほど笑いましたっけ。

 

グループを解散し、それぞれの道を歩むようになってだんだん疎遠になったけど、大事な友人の一人と思ってました。その人が、まさか先に逝くとは。訃報に驚き慌てて探したのが、初評論集『アウトローの挽歌__黄昏にB級映画を見てた』(白川書院 1976)。

 


▲漫画原作者としても活躍した。
▲漫画原作者としても活躍した。

そこには60年代和製活劇映画へのオマージュが匂い立ち、あの時代を雄弁に語る西脇英夫の代表作です。これは作家小林信彦さんに絶賛されて、対談にも呼ばれています。西脇さん、残念です。また会って“ツーホットワンアイス”やりたかった。

 

もう一人の“忘れ得ぬ人”は、女傑で占い師の細木数子さん。親しくはなかったけど、取材で会って大喧嘩となり、一生忘れられない思い出となりました。それは次回に------。