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逝ける友を偲ぶ Ⅱ

 

新型コロナウイルスの威力、凄いですねえ。先日、銀座三越前で人を待っていると、通りかかる人、皆、マスクマスクマスク-----

その後、近くの喫茶店でお茶をしてたら、やはりマスクの中国人一家が喋りながら賑やかに入って来て、すぐ隣の席に-----。気がつけば店の人たちも、女主人以外は、皆マスクなのでした。 

 


そもそもこんな時期、中国人観光客で溢れかえる所に行くのが間違い----の声が聞こえますが、当方にも事情がありまして。この日会ったのは、前のブログで書いた黒田邦雄さんの友人でした。独身だった黒田さんは、葬式や通夜はしないよう遺言し、関西在住の遺族の方は、内々に密葬を済ませてしまった。私は、その最期の日々がどうだったか知らず、共に偲ぶ相手もおりません。

それではあまりに寂しい。映画評論には辛口だったけど、折々に盛大に褒めてくれた褒め上手の彼に、「頑張ったね」の言葉も掛けてあげたい。そこで神戸から駆けつけて臨終を看取ったその友人と連絡を取り、上京中に会うことになったわけ-----

念願かなってゆっくり話を聴けたけど、しばしばハンカチを目に押し当たり洟をかんでる私の姿は、そばにいた中国の人達にとっても、結構、“怪しく”映ったのではないでしょうか。 

▲▼小笠原壱岐守長行(おがさわら いきのかみ ながみち)は、幕末、江戸幕府の老中として活躍した。

といって、この銀座四丁目の雑踏を、ノーマスクで遊泳する人がいないでもない。この日は、若者と、外人女性が目立ちました。「世の騒ぎなどどこ吹く風」の人は、どの時代でもいるわけで。幕末の資料を読んでいると、上野で彰義隊戦争が起こっても、逃げ惑う人々がいる一方で、「どこかで、ドンパチやってるらしいね」程度の人や、歌舞伎などを楽しむ人も少なからずいたらしい。

 

『柳橋ものがたり』も4巻が出て、徳川の世もいよいよ断末魔。時代の境い目に立ち会った江戸の人々は、一体どんな光景を見ていたのか。そう考えて、二篇ほどは実話をもとに書きました。

第二話「赤羽織の怪人」がその一つ。この主人公に男児が生まれたのは、“薩摩強盗”が江戸を荒らし始めた、ドン詰まりの十一月半ば。その子は、長じて『金色夜叉』を書き、文豪・尾崎紅葉となる。その父が、赤羽織を身につけて幕末の柳橋に出没した、奇想天外な太鼓持ちだったとは----


 

 

第五話「送り舟」の主人公は、最後の老中の一人、小笠原長行。この人は幕末から明治にかけての乱世を、波瀾万丈というか、抱腹絶倒のスタンスで駆け抜けました。それについては本巻を読んで頂くとして。幕末の徳川幕府には、時代の先を見通す政治家がいなかったと言われるけど、こんな老中もいたことに、滅んだ徳川方の奥深さを感じずにはいません。

 

というわけで、はや二月__。この週末に佐伯俊男さんの「偲ぶ会」があるので、追悼文は、それに出席してからに。

皆様、どうぞ風邪を伝染されないように。 “怪しい”人物には半径二メートル以内に近づくな、と言われるけど、でも電車内などで咳き込んだりする時は、えらく肩身が狭いですね。