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『山岡鉄舟先生正伝/おれの師匠』_暑い夏の日に寝転んで

 

開催は是か否か。そんな騒がしい中で始まっちゃったオリンピックですが、気がついてみるともう終盤。あれこれ言っていた私は、サッカーや陸上などのT V観戦にはまり、夜更かしの毎日です。

 

開会式も、「地味だ」「才気がない」と散々な言われようだったけど、何ぶんにも非常時のオリンピック。たしかに“さあどうだ”のハッタリ感はなかったけど、その控えめな作りに、かえってホッとした人もいたんじゃないですか。初めから無観客とお茶の間観戦を予想して、“テレビサイズの開会式”を演出した?----とまで、私など思いましたけど。ド派手でない分だけ、世界206ヵ国の選手入場シーンがフィーチャーされ、堂々として伸びやかなこの行進が、開会式の基本なんだと改めて感じました。

 

ただ海外の選手たちが、“騙された”と怒り狂うほどの暑さと、セミの声がうるさいとクレームが出るほどの、“蝉しぐれ”な夏。水泳以外は、スポーツに最も向かない季節ですよね。こうなっちゃった背景に義憤を感じ、選手たちに心より同情しつつも、セミを罵る声にすごく驚いて、内心呟いた。「この国は古来より、蝉をこよなく愛でてきた国だと知らないか」と。蝉の声の聞こえない夏なんて、ホップのきかないビールみたいもんですよね。


▲小倉鉄樹
▲小倉鉄樹

さて、こんなバタバタと騒がしい夏は、ぜひ暑気払いの一冊を!

 おススメは『山岡鉄舟先生正伝/ おれの師匠』(ちくま学芸文庫)。

 鉄舟といえば、名だたる剣豪として有名ですが、禅や書や、さらに色道をも極めた、豪放磊落な快(怪)人物です。御一新に際しては、西郷隆盛との交渉役を仰せつかり、江戸無血開城に導いた維新随一の功労者であるとは、あまり知られていないでしょう。本書は、その鉄舟の内弟子として寝食を共にした小倉鉄樹が、その若い目を通して、知られざる“師匠”の生き様を、歯切れ良く、生き生きと描き出したもの。(禅の研究家となった小倉鉄樹は、七十を越えてから、三十才年下の日本画家小倉遊亀と結婚する)。

 

鉄舟といえば“偉人”をイメージしがちだけど、そんな聖人君子ではさらさらない。身体もデカければ、物の考え方も規格外で、幕臣時代は“ボロ鉄”だの“鬼鉄”だのと呼ばれる、下っ端の貧乏旗本だった。それがいつの間にか歴史的事件の大舞台に引き出され、そこでも常人が思い及ばぬようなことを、堂々とやってのける。

最後の将軍慶喜から命じられた交渉役として、敵将西郷隆盛と交わす命がけのやりとりなど、涼風が胸を通り抜けていくようです。


なお山岡鉄舟は、不肖私の作品『時雨橋あじさい亭』や『柳橋ものがたり』(6巻)にも、登場して頂いています。実は『おれの師匠』は、その貴重でピカ一なネタ本だったのですが、私が読んだのは古書店で見つけた古い、旧かなの読みにくい本でした。

それが今年の六月、現代の文字に置き換えられ、岩下哲典先生(東洋大学教授)の解説で、筑摩書房で文庫化されたのです。大変読みやすくなったのが何より有難いです。