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やっとワクチン打ちました

 

何だかんだと理由をつけて逃げ回っていたワクチン。掛かりつけの医院で、昨日ようやく一回目を終えました。アッという間のことで、左腕が痛んで寝苦しかったけど、この程度で済むなら有り難いと、遅まきながら一安心。このワクチンは、“メッセンジャーR N A”なる遺伝子の操作で体内の免疫を高めるもので、コロナウイルスを体内に注入するものではないから、気分的には楽ですね。

 でもずっと遠くに感じていたコロナの影が、いよいよ我が体内を通り過ぎて行くようで、少し気分がピリッと----。ちょうど月面を通り過ぎる影で地球の存在を感じ取る、あの月蝕みたいな感じかな。

 

今の世でもこんな風に少し怖いのだから、江戸時代はいかばかりだったか。種痘なんかは、すでに種痘を受けた者の腕から受ける者の腕に、直接接種したそうですからね。

 安政五年当時、箱館奉行だった村垣淡路守は、アイヌに蔓延していた天然痘対策で、医師の派遣を幕府に要請。蝦夷地に大規模種痘を繰り広げたけど、皆怖がって山に逃げ込み、困難を極めたらしい。やむなく種痘を受ければ景品を渡すと、皆が喜びそうな品を種痘場に積み上げて、何とか半数くらいの種痘率を得たとか。

 


当時、アイヌを先にやるのは“人体実験”だとの批判も出たらしいけど、実際には種痘は十年前に長崎で解禁され、京、関東に広がり江戸にも浸透しており、尤もらしい批判はアテにならないもの。今も、ワクチンを“老人ホーム”などの高齢者から始めることに“人体実験”説を唱える人がいたり、ホームから外に出ない高齢者の“優遇”を疑問視する人がいたりで、何が何やら。はっきりしているのは昔も今も変わらないってことですね。

 

というわけで、まだ二回目の接種が待っています。

発熱などしないよう、無事な“月蝕”を祈るばかりです。

 

▲平沢屏山 (1857) :『蝦夷人種痘之図』 北海道大学 北方資料データベース