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瀬戸の花嫁

 

“瀬戸は日暮れて夕波小波-----”とTVから流れる歌を聞いていて、あれ、と思いました。三か月前に他界した友人を、ふと思い出して。彼女は二十代半ばで“あなたの島(四国)” へお嫁に行った人。

 「そういえば、あの人も瀬戸の花嫁だったんだ!」と、大学時代からの長い付き合いだったのに、今さら初めて気づいた私でした。

 

その歌は、瀬戸内海の島の若い娘が、愛しい彼氏のいる島へお嫁に行くという、初々しくも牧歌的なラブソング。一方、わが友人は富山から関西の大学に進み、愛知に赴任していた新任教師。高松は遠く、岡山から宇高連絡船に乗ることもあって“遠い”感がありあり。反対する人もいて迷ったけど、若かったし、“愛があるから大丈夫”の歌詞そのままに、仕事を捨てて讃岐の人となったのです。

 

その後、彼女からの手紙はいつも、“四国は昔、罪人の遠流の地だった”とか、“本土ははるか彼方”など、孤独をかこつ言葉ばかり。別住まいではあった義父母との折り合いが悪く、それが夫婦関係にも反映し、悩んでいたのです。スマホもない時代、はけ口はもっぱら分厚い手紙、でも私も東京で苦闘中で、ろくな励ましも出来ず----。


▲崇徳上皇は、平安時代末期、保元の乱で後白河天皇との戦いに敗れ、讃岐に流された▼崇徳上皇ゆかりの香川県坂出市の白峯宮。

 しかし一男一女に恵まれ、高松にも慣れると、その風土の豊かさ面白さに開眼。讃岐の名所巡りによく誘ってくれ、私は何度、息を弾ませて連絡船に乗ったことか。金毘羅宮近くの金丸座で見た、江戸時代を偲ばす“こんぴら歌舞伎”、琴平電鉄の沿線に狂い咲く真っ赤な彼岸花の群生、鬼ヶ島(女木島)での真夏の海の碧さ、小豆島の夜に釣り上げたキラッと光る太刀魚の生身。そして平安中期、政争に敗れて流された崇徳上皇の、雲井御所や八十場の霊水----。

 

彼女が崇徳上皇に興味を抱き、文献を読み始めたのはいつ頃だったろう。「伝記を書いてみたいけど、どう書いたらいい?」と電話で訊かれたのは七、八年前だったか。「まずはのびのびと書きたいように書いたら?」との私の頼りない言葉に、我が意を得たようで、八百枚近くを何年もかけて書き上げたのです。ただ惜しむらくは、手書き(!)だと。手書きは読みにくく、少なくとも私には、手書き八百枚読破は難行です。当節、出版社も受け付けない。

 「書いた以上、人に読んでもらわなくちゃ。私もぜひ読ましてもらいたいし、業者に頼んで活字に打ち直したら? そうすればビジネスコンビニで、製本してもらえるし」と私はアドバイス。

 

でも諸事情により、彼女はもう一度清書して冊子の体裁を整え、高松市中央図書館に寄贈。(『崇徳院の悲劇』と題して1〜19巻に及ぶ)。「よくぞ図書館はこのような“化石”に背表紙をつけ、開架に置いてくれたもの」と彼女は感謝してました。余命ンか月の病を宣告されたのは、その直後のことです。入院を伝えてきた電話で、「もう思い残すことないから、いつ死んでもいい」と。


今、訊きたいことが山ほどあります。「崇徳上皇さんを、なぜ選んだのか」とか。一つ言えるのは、怨霊になった上皇の鎮魂を考えていたでしょう。私はこの友の鎮魂のため、讃岐を訪れ、この本を手にとってみたい。ユーチューブで「瀬戸の花嫁」を聞きつつ涙、涙。

 

さてもう二月。下旬には、「柳橋ものがたり」6巻が出ます。維新という歴史の転換点で、江戸の人々は何を考え、どう生きたのでしょうか。そんなふつふつたる興味から、いつもより多く実在の人物に登場してもらいました。どうぞお楽しみに!

▲洲崎良子(すざき よしこ)著「崇徳院の悲劇」全19巻 手書原稿を複写・製本したもの

香川県立高松市中央図書館所蔵 郷土資料コーナー