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コロナ二年のお正月

 

新年おめでとうございます。ぼやぼやしてるうち一月も半ば。今年はステイホームで、静かに過ごした方が多かったでしょう。私も、タワーマンション二十二階の友人宅でのいつもの新年会は、中止。自宅で、手作りおせちでワインを呑みつつ、TVの「ニューイヤーコンサート」を観てました。煮染め、黒豆、だし巻き卵、きんぴら----等、昔ながらのおせちは、地味で静かな正月にぴったり。子どもの頃の、年始客と父が酔っ払って繰り広げる呑めや唄えの正月風景など、遠い昔の夢ですね。

 

この元日恒例のウイーン・フィルのコンサートは、ナチス・ドイツのオーストリア併合の翌年から、続けられているという(!)。でも今年はコロナ感染予防のため、無観客。会場に使われるウイーン学友協会の豪華な“黄金の間”で、ドレスアップした聴衆にチラホラ混じる和服姿は、見られず。画面には世界中からのリモート出演の観客が。拍手はオンラインで届く、史上初のコンサートでした。

▲ウィーン・フィルニューイヤーコンサート2012 指揮:マリス・ヤンソンス、管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  ウィーン国立バレエ団 YuTubeより


 

そして十一日は、成人の日。今年は成人式を中止する自治体が多かったけど、やはり華やかな振袖姿が、TVを賑わわせていたようで。解説によれば、成人式に出席する若者は“成人”人口の半分ほどというから、あと半分は家にいるのでしょうか。その若者達は何を考えているのかと、私はそちらに思いを馳せました。

 

ちなみにン十年前の私の成人式は、前にも書いたけど、珍妙なものでした。進学せず銀行員になっていた私は、市主催の成人式など出たくないと公言していた。我が家は振袖を作る財政状態になかったから、母親はそれが原因と考えてか、自分の着物を染め替えたり、色々工面して、式の直前に一式揃えて差し出したのです。

それには驚いたけど、なお出ないと私は言い張り、母親は泣き、父親は怒りだす。派手な親子喧嘩のあげく、結局私が折れて-----。

 

「君たちの明るい未来のために」という市長さんの祝辞を聞きつつ、前日の惨憺たる家庭騒動を思い出し、なーにが明るい未来じゃ----と、何とも気恥ずかしかったのが忘れられません。


 

七日、緊急事態宣言で、政府の立ち遅れが批判されました。

実は、去年の自粛明けの五月から年末までに、私は十人以上の三密の会食に、二度出ています。義理あって断りきれず、なるべくマスクをしてたけど、飲食中はそうもいかず-----。その二回とも、店側の対応はアルコール消毒だけで、飛沫対策の透明アクリル板はなし。さらに二十八日、買い物帰りに寄った銀座の鰻屋も、外人を含む数人が声高に談笑していて大賑わい。でも飛沫対策はなし。そして二度とも、客はマスクなしでした。これだけで言うのも何だけど、コロナがなかなか終息しないのは、店やお客(私も含む)の側にも問題があるのでは、と痛感したことです。

 

「今までは人のことかと思うたに------」と、突然我が身に降りかかる不幸を、江戸時代の蜀山人は狂歌に詠んでいます。私としては、昨年暮れの舌ガン騒動も踏まえ、“次は我が身か”の危機感に迫られた新年であります。また、“ブログ読んでます”と年賀状に書いてくれた方が何人かいて、とても嬉しかったです。今年もよろしくお付き合いください!