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アガるということ

 

人前で話すのは苦手、でもアガらないと自分では思っています。

先月もコロナ禍の中、上野の東京文化会館での『鉄舟会』講演で、1時間半ほど喋りました。タイトルは「『柳橋』妖人奇人録」。五巻まで来た『柳橋ものがたり』には、実在の人物が何人か登場しています。

“江戸の粋”と言われた柳橋でなければ出会えない人達だから。この際、それをラインナップしてみたのです。

当ホームページ管理人・井田ゆき子さんがパワーポイントを担当してくれ、幕末の江戸の地図、浮世絵、写真などを万華鏡を見るごとく展開して大好評。おかげで私もアガらず話せたのですが----。

 

一部を紹介すると、トップはやはり柳橋のガイドブック『柳橋新誌』を書いた旗本・成島柳北。昼はお城で将軍の読書指南役、夜は柳橋のモテ男。老中を狂歌で風刺し謹慎を食らった反骨漢でもあり、維新後は新聞人として生きて、旧幕臣の凄みを見せた怪人です。

“鯨海酔侯”と自称した土佐藩主・山内容堂は、中央政界の重鎮だったが、柳橋を愛し、酒と女に藩財政が揺らぐほど耽溺した妖人。角彫師の尾崎谷斎は、幇間でもあり、派手な赤羽織で柳橋に出没した奇人。そんな父を息子の尾崎紅葉は恥じ、世間に父子関係を公表しなかったとか。さらに圓朝、田之助、黙阿弥と続き-----。

 

いい具合に終えたと思いきや、気がつけば“これだけは言おう”とメモっていた項目の幾つかは飛んでました。何喋ったのかな、と少々ショック。思えば一昨年のこの会でも、一時間半で収まり切らないのを恐れて早めに進め、三十分も早く終わっちゃって内心真っ青でした。どこかでちゃんとアガってるんですね。

上/柳橋の芸者 中/成島柳北 

下/柳橋を愛した土佐藩主・山内容堂


▲佐藤栄作  1901年(明治34年)~1975年(昭和50年)

実を申せば、とんでもなくアガった忘れられぬ思い出があります。

某週刊誌で著名人の趣味欄を担当していた頃のこと。その日のインタビューは、すでに総理を退いていた佐藤栄作さん。広い会議室の長テーブルの正面に元総理、向かい合って私、中間に秘書の方が。

目の前の元総理は、長髪の立派なハンサムなお顔で、“政界の団十郎”の喩えそのまま。へえ、学生時代、学生運動で抗議の標的だった“サトウエイサク”とはこの方? あの“栄ちゃんのバラード”に歌われたのはこのお方? そう思ったとたん、落ち着いていた頭にカッと血が上り、一瞬、脳内で何かが煮え立ち、出て来た言葉が、

「佐藤さんが大統領でいらした時----」

「ち、ちょっと。日本では大統領とは言いません!」秘書が立ち上がって叫ぶも、誰より驚いたのは私。なぜこんな言葉が出たのか。

「すみません、アガっちゃったんです!」

 と頭を下げると、元総理はアッハッハ----と大きく笑ってお咎めなし。思い出すと今も冷や汗が出る、悪夢の一瞬でした。


 

アガるとは、気が動転して、どこかでプツッと理性が途切れること。その時、脳の暗闇から、思いもよらぬ物が顔を出すんです。

そんな体験をいくつか重ねた結果、「私はアガらない、私はアガらない」と自分に呪文をかけるようになったんですね。

 

以前、渋谷に向かう東横線の中で、学生らがガヤガヤとあまりに騒がしい。すると「うるさい!」と大喝したおじさんがいた。一瞬、車内はシンとしてしまい、おじさんはアガったのでしょう。

「ここは君たちだけの自転車じゃない!」

一瞬の沈黙の後、大爆笑に包まれた忘れられぬ車内風景でした。