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コロナ渦中の普通の日々

 

 

ネット書店『古書肆マルドロール』の店主、小山富士子さんが亡くなったと。ネットで知りました。昔、池袋の伝説的書店『リブロ』の“カリスマ書店員”と新聞に取り上げられ、それがカリスマ-----のはしりだったように記憶します。

その伝説の人が独立し、渋谷の画廊『美蕾樹』のコーナーで、センスいい書籍を売り始めたので、私は早々とお客になったわけ。

 

マルドロールのHPで連載中だった「気まぐれ日記」によれば、今年4月4日に、小山さんは咳の症状を訴えています。コロナ疑惑に怯え、PCR検査を求めて感染症サポートセンターに電話したが、何度かけても繋がらなかったと。

4月18日、近くの病院で“肺に水が溜まっている”と診断されたらしい。でも結局、PCR検査はどうなったのでしょう? 

 

5月30日で記述は途絶え、6月8日に「ひっそり営業します」と復帰の意志を見せたものの、7月5日に突然閉店の通知。いつ亡くなったかは定かでない。確かなのは、マスクも医薬品も欠乏し、検査も行き届かなかった、あの悪夢のコロナ禍中での闘病だったということ。今や数少ない“辣腕カリスマ”の死を、悼みます。心よりお悔やみ申し上げます。


▲歌川広重「名所江戸百景⑬ 柳しま」

▲「柳島」と呼ばれたのは、現在の東京都墨田区業平5丁目、江東区亀戸3丁目周辺。写真は法性寺近く十間橋からの夕景。(提供:写真AC)

 

コロナ疑惑といえば、前回書いたように、雑司ヶ谷での会食に出席した私。実はその後、びくびくものでした。店は地下にあるのに、換気や飛沫防止の準備も見当たらず、あまりに“いつも通り”だった。おまけに私は喉が弱く、時々わけもなく喉が痛んだり、咳が止まらなくなったりするので、その度にいよいよ来たか-----と。

 

でも14日間の“喪”がぶじ明けると、また性懲りもなく東京へ。

最新の『柳橋ものがたり5巻』で、柳島妙見堂辺りの風景を描くにあたり、参考までに見た広重の浮世絵『柳しま』が、あまりに美しくて! 久々の青空に誘われ、行ってみたくなったのです。

 

でも一体どこを探せば、あのような風景に行き当たるやら。当然ながら、浮世絵とは大違い。「妙見様」と庶民に慕われた法性寺は、業平ハイツの一階に収まってました(下調べで承知はしていたが)。

玄関横に、葛飾北斎の大きな石碑がありました。北斎は仕事に行き詰まり、妙見様に二十一日間の願掛けをし、最後の日に雷に打たれて失神。その後、運が開けたことで、熱心な妙見信者になったとか。業平ハイツの前には、水郷地帯の名残りの十間川が流れ、その先にスカイツリーが見えました。川面に映る“逆さツリー”が美しいとか。でもこの日は、そういうの見に来たんじゃないのね。

 

その後は買い物をして、同行者と東銀座の鮨屋へ。

この店では、カウンターの向こうとこちらの境に、飛沫防止の透明のアクリルシートが垂れていて、カウンターから20センチほど上で切れている。なる程これなら飛沫感染はない、と一安心。

でも-----。鮨はもともと、屋台に発した江戸のファーストフード、あまり高級だったり、変に気取るのは邪道と考えます。ただ、カウンターごしに、握る側と客の間で行き交うさりげない言葉は、風情のうちでは? それが透明シートごしじゃ、何だか奥歯に物が挟まったよう。やれやれ-----。たぶんこれは、当分続くでしょう。

味気ない時代になったものです。