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4か月ぶりのお出かけ

 

その日がついにやって来ました。

6月26日の東京は朝から晴天、最高気温32度の暑さ。でも、河出書房新社から出た『赤江瀑の世界』のごく内輪の出版祝いとあって、4か月に及ぶ自粛を解除して、雑司ヶ谷へと駆けつけたのです。

 

でもこの日、TVでは“夕方には雷雨”の予報が。

ネット予報で、駅への到着時刻にカーソルを合わせると、真っ黒な雷雲がぴったり重なる。そういえば一昨年の雑司ヶ谷での“赤江瀑を偲ぶ会”の夜も、帰りに突然の雷雨に遭い、散々だったっけ。

やむなくおニューの靴を雨靴に変え、傘を持ち、雨に備え一時間早く出かけたのです。でも何と、雑司ヶ谷は美しい夕焼けで、あの黒雲はどこへ行っちゃったんでしょう。天気予報のばか!

 

ここで思い出したんですが、この町は、『東海道四谷怪談』の舞台なんですね。四谷といえば、つい新宿四谷と思いがちですが、そちらは、モデルになった実際の事件のあった場所。田宮伊右衛門とお岩さんの家は、“雑司ヶ谷四ツ家町”に設定されているのです。

古地図で調べると、“鬼子母神”への参道沿いで、この夜私が飲むことになる居酒屋のすぐ近くでした。南北は、なぜここに?

「江戸の外れの雑司ヶ谷-----」と講談でも語られる辺鄙で古い土地柄が、稀代の怪談を醸成する絶好の舞台と考えたのかもしれません。

 

▲雑司が谷鬼子母神堂 

▼境内の武芳稲荷堂

▲カモメもソーシャルディスタンス?

 

 

 

 

さてそのお店では、入り口では検温、座席にビニールの仕切りがあり、椅子と椅子には程よいディスタンスが-----。と思いきや、そんな物はナーンにもなく、消毒用のアルコール瓶があるだけ。

地下の換気の悪い中に、真ん中の通路を挟んで、右側に6、7人用のテーブル席、左側の座敷に数人用の座卓が二つぐらい。隣とはデイスタンスもなく肩を寄せ合い、向かいとはノーガード。ここで二、三時間、飲食しつつ談笑する、それはちょっと恐怖でした。

 

でも店内は結構混んでいて、皆、コロナなんてどこ吹く風----。

私のテーブルの会食者は6人。その大半が雨の心配もしてなくて、

「えっ、雷雨の予報が?」なんて驚かれてがっくり。ノーコロナ、ノー雷雨、と力んで雑司ヶ谷に乗り込んだのは、私だけらしい。

 

でもお酒と会話が進むうち、だんだん私は反省モードに。

「コロナの時代を生きるとは、こういうことか」と、皆を見ていて思いました。感染への恐怖を大げさには見せず、“マスク警察”になって居丈高に人を責めもしない。

といって感染を恐れないわけでもない証拠に、会が終わった途端、4人がサッとマスクをつけた。

こうしてコロナと折り合っていくしかないのですね。満員電車でも会食の席でも、自分なりの疫防をしつつ、その場と折り合う。そうすることで、この“危険が一杯”の現代を、生きる。これからは、そんなしなやかな“現代ウオーカー”があるべき姿であろうと。

 

とはいえなかなか、そうもいきませず。あれから5日。小心者の私は、咳が出たり寒気を感じたりする度、もしかして----と思い、おっかなびっくり生きてる感じ。でも、今後はどんどん出かけます。


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