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大江戸パンデミック

 

皆様、いかがお過ごしですか?

5月1日は「八十八夜」。立春から八十八日たったのです。コロナがいよいよ騒がれ始めたのも、立春(二月四日)のころでしたね。

あの時は、まさか八十八日たってもまだ終息しない、などとは思いもよらず。でも電車での外出は控え、映画館も美術館もレストランも呑み屋も行かず、静かに暮らした八十八日。長かった!

 

そんな中、コロナ対策班を率いる押谷仁教授、西浦博教授たちの、未知のウイルスに立ち向かうドキュメントを、T Vで見られたのは幸いでした。その健闘ぶりには頭が下がりました。

でも話は飛んで、江戸時代、コレラと闘う蘭方医の存在や実情など、当時の人々には、想像もつかなかなかったでしょう。幕末史を見てると、三日で死ぬといわれるコレラ大流行に、神仏や除災儀礼にすがるしかなかった庶民の狂乱の姿がある。-----と同時に、命がけで悪疫に立ち向かった医師もいた、ということが分かります。

 

安政五年(1858)のコレラ流行時__。その最前線にいたのは、何と言っても、後に奥医師となった松本良順でしょう。

コレラは、米船ミシシッピー号で長崎湾から上陸したのですが、その時かれは、ポンペに蘭学を学ぶため長崎にいた! 運悪くジャストミートし自ら罹患しつつも、師ポンペの懸命の医術で生還。師と共に一身を投げ打って治療に飛び込み、多くの命を救ったと。

(このあたりは司馬遼太郎の『胡蝶の夢』に詳しい)。

▲コレラ退治の錦絵(1886年)。虎と狼と狸が合体した妖怪を衛生隊の隊員たちが退治しようとしている。▼1858年(安政5年)の『項痢(コロリ)流行記』(仮名垣魯文 著)の口絵。コレラの大流行で死者が続出し、大混乱する江戸の火葬場の様子を描いた。

 


▲長崎海軍伝習所の医学教授としてオランダから招かれた軍医ポンぺ。▼ポンぺを囲む医学生。前列ポンぺの左が松本良順で、江戸幕府の将軍侍医や陸軍軍医を務めた。

 

この安政コレラは、その夏、江戸に襲いかかり、何万人(正確な数字は不明で、二十六万とも数万とも)もの犠牲者を出した。

この時、佐倉「順天堂」塾の出身で、銚子で開業していた蘭方医の関寛斎は、江戸から大量の薬を買い込み、病人を隔離する対策で死病に立ち向かい、銚子に一人の死者も出さなかったといいます。

また、不幸にも、迷信を信奉する患者たちに受け容れられず、殺傷された蘭方医もいたとか----。不肖私も、次号『柳橋ものがたり』で、一人の蘭方医の奮闘を試みるつもりです。

 

さて、この自粛生活はまだしばらく続きそう。こんな時こそ、買ったまま書棚の肥やしになってる本を読んじゃおう。-----との意気込みで手に取ったのが『コレラの時代の愛』(ガルシア・マルケス)。

“疫病”ものでは、ポーの『赤き死の仮面』、トーマス・マンの『ヴェニスに死す』と、数ある名作の中で、世間では今『ペスト』(カミユ)がずいぶん読まれているらしい。私としては前に読んでるし、今は未読の本を-----と思ったのですが、これがどうにも長く、読みにくい。根気のない私に完読できるかどうか----。


もう一冊、二十年以上も前に出て話題になった『ゾウの時間 ネズミの時間』(本川達雄)。“動物に流れる時間はそれぞれ違う” という事を書いている本です。例えばゾウは、ネズミより十八倍ゆっくり時間が流れているから、仮に物理的に同じ時間を共有しても、感じる世界は全く違うのだと。

今はコロナ・パンデミックで、ほぼ全世界の人が同じような自粛生活を強いられて、同じような忍耐を味わっています。人々は息を潜めながら、“それぞれ違う時間”を過ごしているんだと考えると、なぜかこの本を読みたくなりました。


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コメント: 1
  • #1

    bo- (月曜日, 13 7月 2020 23:06)

    コロナ禍のなか、お元気にお過ごしのご様子で何よりです。
    私は2月末より今も自宅勤務が続いており「胡蝶の夢」全巻購入し読み込んでおります。

    昨日の北海道新聞に「評伝 関寛斎(合田一道 著)」の紹介があり、森さんがHPで紹介されていた方だ!と興味深く記事を読みました。
    72才で陸別入植、開拓を志した方でもあるんですね。

    今月末の「柳橋ものがたり(第5巻)」発売を楽しみにしております。