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明るさは滅びの姿であろうか

 

桜の便りもチラホラ聞こえる昨今、皆さん、お元気ですか?今年の三月は何と、スケジュール表が、真っ白! 去年の今ごろは花粉症に悩みつつも、東北へ旅行したり、お芝居に行ったり、関西旅行の準備をしたりで、けっこう忙しかったんだけど。すべてが中止or延期で、急に行く所が無くなっちゃったけど、止むを得ません。大した用もない者がふらふら出歩いて感染(あく)を為すことは、自粛した方がいい。

 

でも皮肉だったのは、三月初めに予定していた「隅田川ふぐツアー」。江戸前のふぐを格安で食べさせる橋場辺りの居酒屋に、毎年、3、4人で出かけているのです。ふぐも魅力ながら、「柳橋」を書く手前、隅田川べりを風に吹かれてそぞろ歩くのが楽しみで----。あそこまでは中国の方々は来ないだろうと、誰からも自粛の声は出ず、決行となった。----のですが、気が利かないことに、何とこの私、持病のめまいで昏倒。3日間も、自宅でよろばい過ごすハメになってしまったのでした。

 

 

▲春の隅田川

▼柳橋界隈


後で聞いた話では、あんなに予約の取りにくい人気店が、この日はガラガラ。お客はこの一組だけだったそう。帰りに寄った浅草の老舗「神谷バー」も、いつもの客ギッシリの盛況ぶりは影も無く、若い客が一メートル四方の余裕たっぷりで呑んでいたと。庶民に愛されたこれらの店が、この非常事態で、閉店の憂き目になっては本当に残念。ここは何とか持ちこたえてほしい!

 

そんな眩暈のさなかのこと。明るい日差しの中を、花粉たっぷりの風が吹き抜ける日、突然電話が鳴ったのです。四国に住む親友からで、「ちょっと聞いてよ、世の中、思わぬことってあるもんだね」と切り出した。最近、下腹の痛みが続くので、気軽に近くの病院に行ったら、妙な影があると。驚いて大きな病院で診て貰ったら、膵臓がいけないと診断されたという。

 

晴天のヘキレキとはこのこと。え、と言ったきり黙り込む私に、「でもこの病気は悪くないよ、やっと終わりにしてくれるから」と意外にサバサバと言う。ある種のハイテンションになってるのと、以前から他にも色々と不具合を抱えているせいでしょう。「今から遺言しておくけど、葬式には来ないでいいよ。それからあんた、また寝込んでるけど、もう最後までやるっきゃないね」

一時間ばかりそんな事を、喋り合った。まあ、余命なんて天気予報と同じで当たらないから-----と言って電話を終えた時、頭が朦朧として、今のはウソ電話じゃないかと思った。


 

日差しの明るい窓外を眺め、電話口の彼女の変に明るい声を思い出していると、ふと胸に甦ってきた言葉があります。そう、太宰治の『右大臣実朝』の中で、実朝が笑って言う決めセリフ。「平家は明かるい。(中略)明るさは滅びの姿であろうか。人も家も暗いうちはまだ滅亡せぬ」

 

謎として胸に沈んだまま、忘れていた言葉です。その意味を考えていると、“明るさは滅び”の次に、ふと“を受容する”の言葉を入れたくなった。「明るさは滅びを“受容する”姿であろうか」と。

いや、これでは意味が少し違ってしまう。ですが、この場合に限り、そう解釈したいと思った、物想いの春の午後でした。