· 

逝ける友を偲ぶ

 

いやはや、正月は六日まで仕事があり、大掃除抜き、おせちは手抜き、肩こり疲れ目でさんざんの、きつーい年末年始でした。

そして年末には、親しい友人が二人も相次いで亡くなったのです。それでなくても数少ないボーイフレンドが、二人も(!)。


その一人が映画評論家の黒田邦雄さん。読めば必ず“こんな見方もあったのか”と目をみはらされた、評論ならぬ“超論”の書き手でした。このブログを愛読してくれ、あれこれ突っ込みを入れていたその人の追悼を、まさかここに書くことになろうとは-----

 

二十数年に及ぶ付き合いの初めから、肝臓に“軽い”疾患があるとは聞いていた。でもたまに検査入院するぐらいで、ずっと何事もなくて、去年の十月頃、お鮨でも食べに行こうと電話した時も、「来週初めに検査入院するんよ。出てきたら電話するね」といつもの柔らかい関西弁で仰った。けれど、それから半月たってもなしのつぶて。仕事が忙しいのかと電話すると、「自宅療養になったんよ。介護ベッドは運び込まれるし、介護人や循環医も来ることになって、落ち着かなくて」

か、介護ベッド? であれば、お鮨どころじゃないでしょ! でも電話の向こうで彼は笑ってるし、正直、冗談かと思った。「いや、ベッドは試しに使ってみようと思って。お鮨食べたいし、久しぶりに会いたいから、来週あたり電話するね」

 

でも電話はなく、半月後の1117日、静かに旅立ったのです。 

まんまと私に一杯食わせて。いつもと変わらぬ剽げた物言いの背後で、何度か入退院を繰り返していたという。すっかり信じ込んでいた私の驚くべき鈍感力には、さぞ呆れていたことでしょう。

 

黒田さんとお芝居や映画を観るのは、楽しいものでした。彼の語る感想は、時に、観た映画やお芝居より面白かったから。

例えば__。黒田邦雄の名を初めて知ったのは、『キネマ旬報』に載った、スチーブン・キング原作の映画『スタンド・バイ・ミー』の批評です。それは、少年達が森の奥に“死体”を探しに行く冒険物語ですが、「これは“父親探し”の物語である。父性社会のアメリカから、父性が失われつつある現代、“父親探し”のテーマが、背後にある----」と、思いもよらぬことが書かれていました。

ひえっ、あれはただの冒険譚じゃなかったの、と目からウロコの落ちる思いがし、慌てて原作を読み返したものです。

その文章は鋭くペダンチックだから、どんな気難しい貴公子かと思いきや、至って気さくな冗談好きで、それは柔軟な人でした。

 

人生のある時期、何かのご縁で歩み寄り、遊びの時間を賑わわせてくれた----そんなかけがえのない友人との別れに際し、私には「有難う」の言葉しかありません。黒田さん、本当に有難う。合掌。

 

“地獄絵師”と言われた画家・佐伯俊男さんが他界したのは、その五日後でした。当分伏せていたようだけど、ここまで書いた時、訃報が公式サイトに出ました。で、次回は佐伯さんのお話を----

▲スティーヴン・キング作「スタンド・バイ・ミー」の翻訳本(新潮文庫)

▼アメリカ映画「スタンド・バイ・ミー」(1986年)の大ヒット主題歌(ベン E.キング)は、ユーチューブで聴ける。


コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    中田統一 (火曜日, 21 4月 2020)

    こちらを読ませていただいて、黒田邦雄さんのご逝去を知りました。彼が40年近く前に出版された「人生を始めないための映画ノート」は、ぼくに映画への目を開かせてくれました。ご冥福をお祈りします。