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気がつけば晩秋

 

お変わりありませんか。私、初秋にノド風邪をこじらせ、“咳”と“頭痛・肩コリ”に悩まされ、マスク怪人に成り果てて半月。やっと咳が止んだらはや晩秋、もうすぐ冬将軍の来襲ですと。

 

仕事ははかどらず真っ青ですが、思えばこの半月の間に、ノドに悪い事ばかりしてました。十月半ばに高校同期会で函館に出かけ、30分のトーク。帰ってすぐマンション総会、翌日は『潮見佳世乃コンサート』で鶯谷へ。そして昨夜は久しぶりに歌舞伎座で、幸四郎や時蔵を楽しんで、帰りに軽く一杯。即位パレードがあって、東京は遅くまでざわめいていました。

 

でも拾い物もたくさん。同期会は、地元の幹事さん達が頑張って下さり、“何か”を満喫しました。何かって? うーん、いわく言いがたい。会の少し前に「資料送ったけど、行かさってますかぁ」と電話が来た時、ふとこみあげた可笑しみ----みたいものかな。 

▲左から、森真沙子ファン倶楽部会長の岸田信高さん、森真沙子さん、豊洲市場鮮魚仲卸の女将・新井眞沙子さん。


会の翌日、三時間弱のバスツアーがあり、幹事さんらがマイクを握ってガイド。車窓の街並みはほぼ見覚えあったけど、そのタイムトンネル風の変わりよう、変わりなさが面白かった。それは級友達にもどこか当てはまり、私も「相変わらずだねえ」と言われてると思えば、このン十年は何だったかのな----と思ったりして。

  

トークの内容は、その直前に関東を襲った十九号台風の感想と、森真沙子の『ファン倶楽部始末記』。その紹介はまたのちとして。ファン倶楽部会長で自称“ケニア人”の岸田さん。三ヶ月前の心臓の大手術で、参加が危ぶまれたけど、新幹線で海峡を越えぶじ到着。私への“応援演説”も鮮やかでした。さすが---

▲▼潮見佳世乃さん

 

もう一つ紹介したいのは、『潮見佳世乃歌物語コンサート』。 “「智恵子抄」チェンバロの調べに寄せて” と題し、上野の旧平櫛田中邸アトリエにて、チェンバロ奏者梶山希代とデュオで。

なぜ今どき智恵子抄かな、と怪しみつつ、小春日和の陽ざしの中、マスク怪人は出かけたのです。でもレトロな古いアトリエに立ち、彫刻家平櫛田中と詩人高村光太郎の交友を知って、疑問は氷解。

 

演奏が始まるや、潮見佳世乃の声量ある声が、チェンバロ(ハープシコード)のバロッキーな音とよく響き合い、光太郎の幻想狂気の世界へと、たちまち運ばれたのでした。特に心奪われたのは「砂浜の智恵子」。砂浜に出ると“友達”が誘いに来る。頭上で輪を描き、チエ、チエ-----と鳴き騒ぐ海鳥と、智恵子は無心に戯れる。その情景を「智恵子はもう人間を捨てた」「----この世界へ帰る切符を持っていない」と光太郎は書く。智恵子を天空へと誘うチエ、チエ----の歌声に、鬼の目ならぬ私の目にも思わず涙です。目で読む言葉の世界と、声や楽器によって増幅され開かれる世界は、また違うものなんですね。

 

スタンダードのジャズ歌手の一方、歴史上の人物の生き様を、講談調に歌語りする、常識を超えたシンガーの潮見さん。やはりジャズ歌手だった故・高岡良樹を父とし、彼が開拓したジャンル「歌物語」の世界に導かれつつ、現代の吟遊詩人たらんと活躍中。さらに飛んで、想定外の面白い地平へと、わたし達を導いてほしいです!

それにしても「鶯谷」は、何とも迷路チックな町でした。あらかじめ地図を頭に叩き込んで行ったのに、やっぱり迷った。目印の「言問通り」が、二階建て(?)みたいになってて-----。この一帯は昔は谷だったんでしょう。でも、あのバロックなサウンドに包まれ、狂気の世界に入るには、あの迷路で迷うのも一つの導入かもね。


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コメント: 1
  • #1

    木村 淳 (火曜日, 11 4月 2023 21:39)

    27年前に二度お会いさせていただきました。突然森様のお優しいお手紙を発見し、お手紙の裏に記されていた横浜港北区の電話にかけましたが通じませんでした。あれから歴史小説を多数書かれていますね。ご活躍をお祈りいたします。