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「道南会」に出てきました

 

 “道南”と聞いて、徳川幕府の滅びの地、箱館戦争の舞台-----などと思い浮かぶ方は、けっこうな歴史好きでしょう。わたし的には、拙著『箱館奉行所始末』の舞台であります。

 

「道南会」とは、北海道南部で生まれ育ち、今は東京に住んでいる方々の同窓会なんだそう。「ちょっと出てみませんか」とお声を掛けて頂いた時、とても懐かしかったです。

道南といえば渡島半島の下半分で、長万部、大沼、函館、木古内、松前、江差など。私は函館での高校時代、生物部にいたため、ドーラン下げてこの町々をずいぶん歩き回ったのでした。

 

    でも反射的に思い浮かんだのは、『箱館奉行所』の宣伝と同時に、もしかして「江差追分」が聴けるんじゃないかということ。私は横浜生まれだけど、やはり「北海道人」なんですね。特に道南人はあの唄が記憶の底にあり、特別なものだったのでは?

 

   子どものころ、親たちの懇親会で江差にバス旅行した時、また父が家にお客を招んで酒盛りする時。必ず「正調江差追分」の達人がいて、自慢の喉を聞かせてくれたのでした。

「カモメ〜え〜え〜」と唸る時は、船で目覚め、頭を波で揺さぶられている気分で唸るのだと、聞いたこともあります。この遠大な唄は、子ども心にも染み入り、その昔初めて「蝦夷地」の山を見た人達の、驚きと畏れが湧き上がったものです。 


  この日、余興で唄われたのは「相撲甚句」でした。でもやはり会を流れている“北海道訛り”や“気持の濃いやり取り”は懐かしく、東京という大都会で暮らす寄る辺ない思いが、この会を盛り上げているように感じました。今度「江差追分」が唄われる時があれば、またぜひ出てみたいです---。

 

 ところでこの会の帰り、私は電車を乗り違えちゃったのです。日暮里から品川経由で山手線を半周し、目黒で三田線に乗り換えるのが、乗ってすぐ寝込み、ふと目覚めると聞き慣れない駅名が----。そうか、山手線には京浜東北線が乗り入れてるんだっけ。気付いて飛び降りたのが鶴見駅。ビールの生酔いもあって、どうやって帰っていい

やら。駅員室に駆けつけると、駅員二人を前に中年のおじさんが何やら怒鳴り立てており、なかなか番が来ない。そんなこんなで、ヘトヘトのやっとの帰還でした。何だか銀河鉄道から幾つか乗り換え、やっとこの星の電車に乗って帰って来たような、不思議にぼんやりした気分でした。

 ▲の写真は江差町、中央はかもめ島。

◀第54回江差追分全国大会の優勝者の歌声。