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おーい、銀河鉄道


 夏至の前日の六月二十日、ザザ降りの中を、「鉄舟会」へ。

山岡鉄舟のご縁で誘われ、月に一度、この会に顔を出しています。いつも参加者は二、三十人ですが、こんな雨の夜は----と思いきや、上野文化会館の中会議室はマックス(六、七十人?)状態でした。今月は、日野の新選組研究グループ会長松崎勇二氏のお話だったせいでしょう。新選組って、今、人気があるんですね。

 

  新選組の源流は、甲州街道の宿場町日野にあります。

 この村で天然理心流剣術の指南をしていた四代目近藤勇は、門下に土方歳三や沖田総司らを輩出し、この剣士らを率いて、幕末の大激流の中へと舟出していった-----。新選組が強かったわけです。

 

 新選組が有名になったのは、何といっても子母沢寛の『新選組始記』ですが、司馬遼太郎の『燃えよ剣』で一躍、全国にファンを増やしました。その登場人物の中でも、剣がめっぽう強い“美剣士 ”沖田総司が、一番人気だったといいます。ところが“色白で病弱の美青年”は、司馬遼太郎が生みだした造型であり、地元で語り伝えられる実像は、色黒で小柄で、目と目がくっついた“ヒラメ”に似た顔だったそう。でもこれほど人気になれば、今さら否定もできないし、真実を伝える写真は一枚も残っていないそうです。

 

 会が終わってからの、三々五々の雑談で、

「-----作家がいい加減なことばかり書くんで、歴史が歪められる」というようなことを、一人の聴講者が私の顔を見て宣ったので、ビクッ-----。はい、私は日頃から、いい加減なことを書いて“歴史を歪めて”いる者なので、この「鉄舟会」では片身が狭いんです。でも『燃えよ剣』が好きか嫌いかは別として、いい加減もそこまでいけば、司馬遼太郎の勝ちじゃないですか。これは歴史実録ではなく、小説なんですもの。

▲土方歳三

▲近藤勇


 新選組も初めは“日野の芋剣士”だったろうし、京では“人斬り集団”と言われたのも確かです。でも作家の筆がそれに留まらず、ロマンへ飛躍したからこそ、新選組は人気になったのでしょう。

 

「新選組」がそれほど好きじゃなかったけど、箱館戦争を調べるうち、土方歳三が大好きになった私。“芋剣士”から出発し、最期の幕臣として箱館に散ったその道程にはロマンがいっぱいです。

 

 ------そこでふと歳三を偲んで何げに調べてみたら、何と命日は一八六九年六月二十日! 松崎さんは何も仰らなかったけど、これは偶然でしょうか。夏至といえば、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が思い浮かびます。あの星祭り夜の前日に、官軍の銃弾で死んだ土方歳三。

(ああ、間に合った-----。星座の箱館駅で、かれは銀河鉄道に乗ったのだ)と、またもいい加減なことを考え始めている、私でした。