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紫陽花咲いて、赤江瀑さんをしのぶ

 

 梅雨入り間もない六月八日は、異端作家赤江瀑の七回忌。

 その日、雑司ヶ谷の料理屋で「しのぶ会」がありました。

 コアな小人数でやるからドタキャンなしで-----との主催者のお誘いに、二つ返事で応じた私。生前、赤江作品については何度かエッセイを書かせて頂いたし、酒席をご一緒したこともあったのです。

 

 ただ雑司ヶ谷の街は遠く、訪ねるのはこれが初めて。

 慎重を期して三十分前に駅に着き、ちょうどいい頃合いに店に着いてほっとしたのも束の間、何とまあ、まだ開いていない-----。慌てて腕時計を見たら、どういうわけだか一時間早かった! 

 

 焦った私は、せめて時間をムダにしまいと駅に駆け戻り、観光案内図をもらって、再び陽光の中へ。この一時間で、「鬼子母神」と「大鳥神社」を回り、参道の塀にこぼれるように咲く真っ青な紫陽花に見とれ、最後には筋のいい古書店も見つけたのでした。

 ちなみに鬼子母神は、“おそれ入り谷”にあると思ってたけど、雑司ヶ谷、入谷、千葉市川の三カ所にあるんですね。その「江戸三大鬼子母神」の中で、最も古くて大きいのが、雑司ヶ谷の法明寺なんだそう。

 


  それにしても、何と蒸し暑い日だったことか。時間通りお店に着いた時は、もう汗だくで喉がカラカラ。くたびれました。すでに参会者はほぼ揃っており、昔お世話になった懐かしい編集者の顔もちらほら。作家の勝目梓さんの音頭で、若かりし頃の赤江瀑のイケメンな遺影に、ビールで献杯したのでした。

 

 私は、あの絢爛たる耽美幻想の世界にしびれ、今はもう新しい作品にお目にかかれないことを悼む、読者の一人です。山口県に行った帰り、長府に寄り道し、住所を頼りに迷路のような丘の道を歩き回って、ストーカーまがいに、赤江漠邸を探し当てたこともあります。

 いろいろ内輪の思い出話が出て、写真や初期の著書が回されてきて、「時が経ったのだな」としんみりすることしきり。『獣林寺妖変』『罪喰い』『ニジンスキーの手』-----等々の作品には、それに熱中した私自身の青春が、ムンムンに詰まっているのです。

 

 話はずんで散会は十時過ぎ。新宿あたりでの二次会に誘って頂いたけど、別れを惜しみつつ、私は横浜方面行きの地下鉄へ。ところが東横沿線の駅に着いたら、雨でした! 天気予報は「夜、関東の一部で雷雨になるかも」だったけど、まさか当るとは。タクシーは長蛇の列、私は意を決して雨の中へ走り出た。

 軒伝いに走り、青い稲妻に照らされながら、ふとあのまっ青な紫陽花を思いました。赤江瀑の遺影に、紫陽花を一枝、手向けたかったと。

 どこか波乱ぎみで、異界に誘われそうだったこの命日、「紫陽花忌」と名付けたい気がしました。