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古書街を行く(1)

  

“古書街を行く”なんて、なんだか颯爽としてるでしょう。ところが実際は、横浜の沿線から首都の本屋街まで、よろばい出て行く感じです。神田神保町って遠いんですね。今は三田線が開通して、一時間で行けるのに、一時間半かかったころの方がよく出て行ったもの。古書店は六時に閉まるので、その後誰かと待ち合わせ、親しいママのいる新宿の行きつけで、終電まで-----。

 

それが今はどうでしょう。週に一度が、いつしか月に一度に。それも最近なんかラッシュアワーを避けて、五時直前には、帰りの電車に飛び乗るていたらくです。まあ、行きつけの店が潰れたり、私がトシとったこともありましょうが、本探しは、ネットや図書館の方が早いのです。も古書街歩きには、何にも代え難いアナログの良さがあります。

 

今回も久しぶりに出かけて行き、「ああ、もっと来なくちゃ-----」と改めて、つくづく、思ったのでした。


   ここでふと、前に原稿を書いた覚えのある古書情報誌『彷書月刊』(2003 1月号)を思い出し、引き出してみると、「私の囲りにいる古書マニアに比べると、自分は愛書家というより、ただの“本好き”にすぎない----」と書かれていました。そうでした。そのころ私の周囲にはなぜか、変人奇人に近い“古書偏愛家”が多かったのです。

古書好きが高じて、某一流大学を卒業後に古書店を始めたTさん。

フリーライターから古書店主に転じたけど、惜しくて本を売り惜しみするというSさん。本で、家の床が傾いてしまったので、時々画廊を借りて古書即売会を開く某大手企業のサラリーマンW氏。

「女に涙を流したことは無いが、古書には大量の血の涙を流してきた」と豪語していた編集者F。

 

   それに比べると私など平凡ですが、その私でも、古書では結構むごい目に遭ってます。例えば、こんな小事件がありました。欲しかった『聖徳太子辞典』が、たまに行く私鉄沿線の店に出ていたのです。正価一万円が、この店で六千円。神保町まで行って調べると、八千円が相場。店に戻り、それを買う気で中をチェックしていたら、耳元で、もしもし-----という声が。

自分じゃないと思い無視していると、肩を小突かれた。振り返ると、大柄な老店主が立っていて「立ち読みは止めて下さい」と言う。カッと頭に血が昇りました。立ち読み禁止の古書店なんて、あるんでしょうか。怒りのあまり、ろくな啖呵も切れず、

「買うつもりで来たけど、止めた!」

と捨てゼリフを残して、店を飛び出すのが精一杯-----。

 

   今まで、その店でどれだけ本を買ってきたことか。それを、肩を小突くなんて無礼千万、まるで万引き犯みたい仕打ちじゃないですか! だいたいその老店主は終始、お茶を啜り上げてはポリリポリリ----と沢庵を噛んでおり、その音が耳障りで仕方なかった。そんなに渋茶啜るヒマがあったら、客が常連か、立ち読み専門のオバはんか、見分ける訓練でもしたらどうなんだ! と言ってやりたかったです。

 

   後日、古書マニアの一人にその話をすると、大憤慨してくれるかと思いきや、「古書店で立ち読みするのはバカだ」と宣う。「立ち読みは新刊本屋でするもの。古書店は読む所じゃない。本の状態が、値段と見合う美本かどうかじっくり見る所-----」ですと。