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新茶と、「サムライ転職物語」


 GWも半ばに、予約していた「八十八夜の手摘み茶」が届き、また長野に帰省した友人から「タラの芽」などの山菜が送られて、台所人としての私は、大わらわ。美味しい新茶を入れるコツは-----。

 となるはずが、実はすでにすべて書いたところでPCがパニクって、全部飛ばしちゃいました。頭が真っ白になり、サポートセンターやら、Macを使う友人に電話しまくったけど、どうにも直らずへとへと。

 もう有料サポート受けるしかない(30分、3800円)と思いつつ、あるキーをポンと押したらアレレ-----。これで直るんなら、この三時間は何だったのと脱力。お茶の入れ方なんてどーでもよくなりました。

 

 ただ、八十八夜の茶が、古来“縁起物”とされる理由について。立春から三か月後に摘む一番茶に、旨味成分で若さのモトとなる「テアニン」が、その後に摘む茶より、はるかに多く含まれているそうです。でも「三か月」でなく、末広がりに「八十八夜」と言うところが御先祖様の知恵というもの。その方がずっと、寿命が延びる気がしますね。ちなみに今年の八十八夜は、五月二日でした。

 

 今年もスーパーのお茶コーナーに、静岡「牧之原の新茶」が山積みされていて、ちょっと嬉しくなりました。牧之原といえば、百五十年前まで、キツネやタヌキの生息地だった不毛の地。ここを日本一の茶畑に育てたのは、何を隠そう、明治維新で禄も身分も失い、身ぐるみ剥がされた旧幕臣だったのです。ほぼホームレス状態の武士が一家を従え、徳川の所領地駿府になだれ込む中、荒れ果てた牧之原台地に入植したのは、山岡鉄舟が率いた精鋭隊(徳川慶喜の警固隊)のメンバーでした。 江戸無血開城の立役者となった鉄舟は、駿府では大参事(家老格)として混乱の収拾に専心。配下の中條景昭をリーダーとする幕臣らが、馴れぬ農具を手に試行錯誤・切歯扼腕し、農民一揆まで体験するなど、汗と涙の「サムライ転職物語」を織りなしたのでした。

 

 そんな旧幕臣の開墾地は多く、例えば「三方が原」があります。

 ここも有名なお茶どころですが、私は「三方のジャガイモ」で親しんでいます。北海道男爵芋やキタアカリもさることながら、ここのはほくほくして味に品があって、ブランドですよね。その台地も維新までは、地元に見捨てられた荒廃地だったそうです。

 そもそも「三方が原」って、聞いたことありませんか。そう、その昔、家康が武田信玄と戦って大敗した「三方が原の戦い」です。あの「古戦場」と「ジャガイモ」が、最近やっと結びつきました。 

 

 当時、仲間に流行っていた辻斬りを憂えた鉄舟。

かれが属する“尊王攘夷の会”の同志は、揃って剣豪で、大酒呑み。酔えば、辻斬りや、富商宅への押し込みに出て行ったらしい。これを何とか止めさせようと、鉄舟は奇想天外な「トラ退治法」を考えだします。酒席に空の酒樽を持ち込んでドンドンと打ち鳴らし、それを囲んで、皆で真っ裸で踊り狂う-----。呑んで踊り狂えば、草臥れ切って、倒れこんで寝てしまうだろうと。その目論見は当って、辻斬りは止んだとか。庶民の命が保証されていなかった時代、こんなことを考え出した鉄舟ってやはり凄いですね。

 

 ちなみに明治には、「アルコール依存症」としか言いようのない大物がいます。酔って、浮気を咎めた愛妻を斬り殺してしまった黒田清隆。箱館戦争の首謀者榎本武揚の命乞いをして頭を丸めた人、後に総理大臣にまでなった人。そんな人格者が、酔えば人が変わったと----。

 「アルコール依存症」って結局は、「ジキル博士」を「ハイド氏」に導く狂気なんですね。