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江差線は、歴史の時空をつないでくれた

巴湾の対岸から見た函館山
巴湾の対岸から見た函館山

 

 江差線についてWikipediaを開いてみたけど、ふう、説明が煩雑すぎて、私にはどうも何が何やら-----。一つの文章に、すべてを盛り込もうとする典型でしょうか。

 

 精神集中して読んでみると、要するに江差線とは、函館と江差を結ぶローカル線だったが、

乗客率が北海道一低いため、廃止になった。

まず平成26年に、木古内=江差間が廃止され、28年に、木古内=五稜郭間が「道南いさりび鉄道」になったということです。

 

 急に江差線を調べたくなったのは、BSプレミアムで古い番組「全乗りつくしの旅」の「北海道篇」を見たからでした。ただダイジェスト版なので、ほんのちょっとしか映らなかったけど。ガイド役の関口知宏さんの江差追分、聞きたかった!

 

 江差線は、海の色も濃い荒々しい日本海側から、半島の中央に聳える大千軒岳の裾を回って、明るく穏やかな巴湾に出る列車です。

 「あの山、なに?」と言いたくなる、まだ臥牛山には見えない函館山を右に見つつ、湾沿いにガタコトと函館まで突っ走る----。子ども時分、親に連れられて、江差に何度か遊びに行った思い出があり、私には何とも胸キュンの、懐かしい路線でした。

 


 数年前のひどく暑い夏、どこか涼しい所へ行こうと探すうち、思い出したのがあの漁師町です。

むしょうに行きたくなって、ン十年ぶりかで訪ねたけど、江差は関東と変わらぬ暑さで、ちっとも避暑にはならなかった。でも静かで古く鄙びていて、遠い「時間」が流れているようでした。

 

 北海道が蝦夷と呼ばれたころ、江差が玄関口だったでしょう。その時分の佇まいが、あの町には今もあるようです。町外れの“鎮守の聖地”とでも言いたい、北海道の原風景でしょうか。その時は江差まで、函館からバスで、帰りは江差線で。そして函館に戻ったその足で、復元成ったばかりの「箱館奉行所」にフラリと入ったのです。飛行機の時間までの、ほんの“時間つぶし”のつもりでした。そこで私は、「箱館奉行所」のとりこになってしまった-----というわけです。

 そんな時空をつないでくれた江差線がないなんて、歴史を旅する上でも、寂しい限りです。

 

※上から2段目の写真は江差町。江戸時代はニシン漁及び北前船による交易港で栄えました。

その時にもたらされた江差追分などの郷土芸能が数多く伝承されています。